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90年代に雑誌Boonを読んでいた大人が、50代で気づくストリートとの新しい距離感

  • Writer: Kei
    Kei
  • Mar 15
  • 6 min read

Updated: Mar 17




はじめに



こんにちは、【きれい好きのための古着屋】古着再生工房INOTORI(イノトリ)のKeiです。


若い頃に歩いたあの通りを、蘇る記憶をたどりながら50代の今の自分で歩いてみたら、何が見えるのだろう──そんな小さな問いから始まった記録です。



1. あの頃のストリートに、今の自分を重ねてみた



団塊ジュニア世代が青春を過ごした90年代。


雑誌「Boon」を片手に歩いたあの頃のストリートには、音や匂いが混ざり合う、ざらついた空気があった。


そこは、当時の自分をそのまま映す場所でもあった。


服を選ぶことは、自分を表現することであり、ストリートに立つことは、何者でもなかった自分が、どこか“自分の存在を認めてもらいたい気持ち”とつながっていた。


いまは廃刊となった「Boon」は、当時のストリート・ファッション文化を映していた雑誌で、その記憶はいまも自分の中に残っている。


そして50代になった今、ふと気になったことがある。


「あの頃のストリートに、今の自分はどう映るんだろう」


「若い頃の自分と、今の自分の“空気感”はどれくらい違うんだろう」


「街の変化と、自分の変化は、どこかで重なるのだろうか」

「今の自分は、改めて古着やストリートに惹かれるのだろうか」


その答えを確かめたくて、昼間に渋谷・表参道・裏原宿を歩いてみた。


懐かしさを感じたいわけではない。


ただ、今の自分がストリートに立ったとき、


何を感じるのか──その気持ちを整理したかった。





2. 歩きながら感じた“今のストリート”の空気感



渋谷から表参道、そして裏原宿へ。90年代から2000年代前半ごろ、よく歩いていたストリートを、50代の今、ゆっくりと歩いてみた。


あの頃のストリートは、勢いと熱気が渦巻く“舞台”のような場所だった。誰もが自分を主張し、服の色も、歩くスピードも、空気の張りつめ方も、どこか“尖っていた”。


 けれど今、同じ道を歩いてみると、その空気は大きく変わっていた。

  • 服の色合いは落ち着き

  • 派手さよりも“整った佇まい”が目につき

  • ストリートのざわめきは穏やかで

  • 文化の芯だけが静かに残っている


歩きながらふと気づいた。若い頃の熱気とは違うけれど、今のストリートには大人が歩きやすい落ち着いた空気があった。


勢いが弱まったのではなく、ストリートが年齢を重ねたような、静かな深さがある。


90年代の“主張するストリート”とは違うけれど、今の“余白のあるストリート”は、50代の自分にはむしろしっくりきた。


街が変わったのか、自分が変わったのか。その境界が曖昧で、どこか優しく、心地よい感覚を受けた。


当時、男の子たちがBoonを片手に歩いていたように、 女の子たちにはCUTiEやZipperがあった。 それぞれの雑誌が、同じ時代の空気を映していたことを、歩きながらふと思い出した。








3. 古着屋に入るときの、年齢ならではの抵抗



歩きながら、いくつか古着屋の前で足を止めてみた。けれど、すぐには入れなかった。


落ち着いて見られる店もあったが、一方で、音楽が強く鳴っていて、若い頃の空気がそのまま残っている店もあった。


若い頃は気にならなかった“店の空気”が、今は自分のテンポと合わない感じがした。


「この年齢で入っていいのかな」そんな気持ちが、ふとよぎる。

これは、年齢を重ねたからこそ自然に生まれる感覚だと、自分に言い聞かせて受け入れることにした。



4. それでも、また古着を着てストリートに立ちたくなる



そんな中で、不意に湧いてきた気持ちがある。「また古着を着て、ストリートに立ってみたい」


若い頃のように“誰かに見られたい”わけではない。ただ、少しだけ自分のために外へ出てみたい。お気に入りの古着を着て、また通りを歩いてみたい。


50代になって、オンの時間を支えるための“静かなオフ”が必要になったのかもしれない。





5. 若い頃は“自分の存在を認められたい”ために

ストリートへ行っていた



ストリートの風を感じ、自問自答しながら歩いていたら、気づくことがあった。若い頃は、無意識に「誰かに自分の存在を認めてもらいたい」という気持ちが強かった。


だからストリートへ行き、服を選び、自分を表現しようとしていた。

今は、ありがたいことに家族や仕事の中で、少ないながらも“自分の存在を認めてくれる人”が日常にいる。


だから、昔のようにストリートを“中心”に置く必要性を感じなくなり、自然と離れていったように思う。でも、完全に離れたわけではない。


今は、生活の中で無理なく関われる距離に落ち着いている。



6. 50代になり、少しずつ“自分のための時間”が戻ってきた



50代になると、家族の形も、仕事の責任も、少しずつ変わってくる。若い頃のように自由ではないけれど、若い頃にはなかった“自分のための時間”が、少しずつ戻ってくる。


若い頃は、仕事や家のことで一日が埋まっていて、自分のために時間を使う余裕なんてほとんどなかった。


でも今は、ふと空いた時間に、自分の好きなことに気持ちを向けられる時間が少しずつ戻ってきた。


その時間をどう使うかは、誰にも決められない。ストリートへ出てもいい。ひとりで歩いてもいい。好きな服を着てもいい。


若い頃とは違う意味で、


”自分のためにストリートへ出る自由が、今はある。”






7. 古着屋に行かなくても通販という“入りやすい選択肢”がある



古着屋の前で足が止まっても、店に入るとなると少し構えてしまう。店の空気や音楽、照明、店員さんとの距離感。若い頃は気にならなかったこれらの空気感が、今は自分のペースと合わないことがある。


通販なら、自分のペースで選べる。街のテンポじゃなく、いまの自分のペースで。


古着再生工房INOTORI (イノトリ)では、商品はすべて自社工房でクリーニングし、状態を一度リセットしてからオンライン店舗へ出品している。


そのうえで、写真と文章だけじゃ伝えきれないところもあるが、スレや汚れの位置、着たときの見え方、どこまで整えて、どこをあえて残したか──。完璧ではないかもしれないが、できるだけ想像しやすいようにオンライン掲載を心がけている。


”古着特有の時間の痕跡はそのままに、


気になる部分だけを事前に把握できる。


大人の生活に馴染む古着を、家で落ち着いて選べる。”



8. 今の自分のままで、また古着を楽しめばいい



若い頃は、勢いで古着を選んでいた。ストリートの空気に背中を押されるように、深く考える前に手が伸びていた気がする。


今は、少し違う。風合いや清潔さ、自分の生活に馴染むかどうかを、自然と確かめるようになっているのではないだろうか。


古着から離れていた時間が長くても、興味が消えたわけじゃない。ただ、古着を選ぶときの“基準”が、あの頃とは少し変わっただけだ。


時間の痕跡が残る一着でも、きちんと整えられていれば、安心して手に取れる。清潔に整えられた古着なら、大人になった今でも、経年変化を楽しみながらまた袖を通してみようと思える。


若い頃のように気負わなくていい。誰かに認められるために着なくていい。


いまの生活のままで、いまの自分のままで、また古着を楽しめばいい。

ストリートも変わり、自分も変わった。


だからこそ、今の自分に合う古着が、きっとある。








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