はじめまして、inotoriです。
- INOTORI
- 2020年6月21日
- 読了時間: 7分
更新日:4月13日
はじめまして。このブログを書いている、古着リユース工房inotoriの榎本と申します。
最初の投稿なので、少し長くなりますが、自己紹介をさせていただきます。
私は元々は、2020年5月末でクローズした、さいたま市で創業88年運営していた老舗・つるやクリーニング本店の四代目の跡取りでした。
そこからなぜリユース・リサイクルの世界に行くことになったのか?というと、話は今から2013年にさかのぼります。
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それまで私は老舗クリーニング店の四代目として事業を継承することになったものの、先代時代のカラーやしがらみが残る社内で、引き継いだ店をどう展開させていけばいいかわからず、「自分オリジナル」の部分を事業に昇華できずに悩んでいました。
また、私がクリーニング業界に入った頃から徐々に業界規模が年々小さくなり始め、1992年に7,802億円だった市場規模が、2014年頃には、その半分くらいの3,982億円となり、未来に危機感を感じ始めていました。
もちろん業界が拡大していた時代もあったので、父の代でFC化を進めて、最大時は40以上の店舗があったようです。私がクリーニングという仕事をスタートした時点でも、本店以外に約20もの店を抱えていたのが悩みどころでした。
先代とは時代背景も違い、また経営者の経験もない人間が何を考えたかというと、【会社の規模感を小さくしながら事業内容の濃度を上げていく】ことが、その時の状況に最適のように思えました。
それを実現することが、事業縮小の仕方がわからず悩んでいた先代の、事業への想いを昇華していくことになり、また自分の代のミッションになるかと思いました。
そしてここから後に、周りのブレーンの方々の力をお借りしながら「常に市場のニーズを受け止め発信し、循環させることで社会向上を目指します」というミッションステートメントを作ることができました。
クリーニング業の前には私はリフレクソロジスト兼整体師として、人の身体のメンテナンスをする仕事をしてましたので、人のメンテから洋服のメンテに職種を変えた形になりました。
クリーニングという仕事を継ぐことや代表者になるつもりも全く考えたことがなかったのですが、先代である父の死に目に立ちあったことが、最終的に事業承継のきっかけとなりました。
代を受け継いだ後、最初は事業の進め方が全くわかりませんでしたが、徐々に、地域にとって必要なクリーニング店というのは「如何に地域の方のライフスタイルに沿える体制を作れるか」ということかな?という結論にたどり着き、代を承継してからは様々なことにトライしてきました。
そのあたりの「理想のクリーニング店を描く構想」はクリーニングの技術習得と同時並行でおこなっていました。 具体的に店舗に取り入れたのは、携帯認証型の24時間受け取りBOX導入といった他社のサービスを取り入れて埼玉県から経営革新の承認を受けたり、埼玉のクリーニング店で初めての彩の国工場として認証を受けたり、など。

いろいろ試してみると反響があったり、広報として意義があったりもしましたが、しかしいずれも自分が作り上げたオリジナルのものではありませんでした。
その悩んでいた時期にお世話になっていた方から、2013年に「リサイクル業を始めてみたら?」という声をかけていただいたのが、リユース事業スタートの原点です。(その時は現在のようにリユース業ではなく、リサイクル業という言い方が一般的でした。)
リユースに取り組んでいたクリーニング店は以前からどこかには存在していたのかもしれませんが、少なくとも私自身は見たことがなかったし、それで「オリジナルのクリーニング店つくりができるんじゃないか」と思いました。
また自分自身が事業を運営する中で、事業規模を縮小しながら利益を上げることを模索してきたことや、自分自身が元々リユースやリサイクルに興味があって、クリーニング事業に取り入れられないかな?という考えもあったので、抵抗はありませんでしたがリユース業界へのとっかかりがわからず、2014年当時は完全に手探りで事業展開がスタートしました。
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クリーニング店には日常的にどこよりも多くの衣類が集まる場所です。 ちなみに洋服に関わる仕事としては、
①「作る」仕事
②洋服を「売る」仕事
③洋服を「メンテナンスする」仕事
に分かれると思うんですが、その中でクリーニングは③にあたります。
またクリーニングにおける、「仕分け」「検品」「洗い」「乾燥」「プレス(仕上げ)」「包装」「配送(納品)」といった細かい作業とリユース事業の「作業」を比べてみると、それほど違和感を感じるものではありませんでした。
上にここまで至った経緯について簡単にまとめてみましたが、最初に考えられたつるやクリーニングでの衣類リユースリサイクル事業「衣類リサイクリーニング®︎」はお客様の「クローゼット整理」や「クリーニング事業を補完するもの」でした。
この内容は2015年にさいたま市ニュービジネス大賞(現 世界を変える起業家ビジコンinさいたま)で賞をいただき、さいたま市産業創造財団様には大変お世話になり感謝しています。

しかしやはりビジネスプランなので、事業を運営する中で仕組みや内容を常にマイナーチェンジ・ブラッシュアップし続ける必要がありました。
ここで経緯をたどると、
クリーニング店頭にて洋服の無料回収からスタート
→クリーニング店内でのリユース子ども服販売
→クリーニング店内での洋服買取という道筋を経て
→現在は国内での仕入れ・自社工場でのクリーニング・仕上げといったメンテナンスを経たものを、一般の方へ販売するという仕組みをつくりましたが、当時クリーニング業界内にモデルがなく、またクリーニングを運営しながらの構築だったので、少し時間がかかってしまったようには思います。
しかしそうしてリユース事業についての深掘りをする中で、クリーニングについては先代である父の13回忌を過ぎたことや、数年に渡りスタッフ人材を定着できないことで、本店閉店を決めました。
コロナウィルスの感染拡大の時期とかぶったことは偶然としか言えませんし、人材が定まらない場合は永く続いた店を手放すつもりで数年前から気持ちを作って準備はしていました。
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2006年から約14年に渡り、クリーニング事業に携わってきました。
先代たちとは違うやり方や新サービスを取り入れたことでお客様のニーズが高まったこと。また最後、コロナウィルス感染拡大の時期に被る中、最前線で頑張ってくれた当社スタッフがお客様から暖かいお声掛けをいただいたのも幸いなことでした。
スタッフさんたちも最後名残り惜しい気分も少しあったようでしたが、最後パウンドケーキなどのお菓子や、手作りのマスクなどをいただきました。
その後、社員だった皆様に良いことがありますように、と願うばかりです。

この14年間でのクリーニング業界にいた経験を活かし、これからリユースの世界を見にいってみたいと思います。リユースを行なう上ではクリーニング業界での経験を生かせることもありますが、クリーニング業界にいたら全く知らなかったであろうことも、少しずつ知り始めているところです。
クリーニング業は亡き父の想いを受け継ぐために始めましたが、 リユース業ではクリーニング業界での自分の経験を受け継ぎ、
前職では見れなかった景色・見れなかった世界を見に行きたいと思います。

最後にSHOPロゴの説明となりますが、このロゴマークの由来は、リユースリサイクル事業に携わる中で2015年にシンボルマークを作ることになり、「衣の鳥(いのとり)」と名付け作られたものです。
蓮花のシルエットをもとに、循環再生の動物「火の鳥」との融合により、衣類を再生させる願いと、過去・現在・未来に渡り地域の皆様に感謝の気持ちを持って、事業に邁進するという気持ちや願いを込めたものです。
今後とも、よろしくお願いいたします。

※この記事は2020年6月21日に作成したブログを加筆修正したものです。
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